三月
2018年3月、工事がひと通り終了したところ。
ここで始まるのだな、とひとり3月の光を見ていた。
同じ瞬間はもちろんないけれど、光のなかにあの時と同じものを感じることがある。
記憶でそこに帰ることができる。
窓話をはじめたばかりの頃、彼らと出会った。
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2025年3月31日
あとがき
数年前、Fujimura Familyの味果丹が「窓話の料理に詩を添えたい」と言ってくれたことがあった。
その時には、どんなふうにできるか想像できず、いつかと願って「場を温めておくね」と伝えた。
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Fujimura Family(以下FF)の二人と出会い、自分とは表現の方向や内容は違うけれど励ましあう存在となっていったのは、わたしもFFも、表現することがそのまま生きることにつながっているという理由が根っこにある。
人とうまくかかわることができず、いつも緊張や警戒がある自分。
子どもの頃から、自分のなかと世界とのギャップに戸惑ったり翻弄されたりしていてみんなのようにできないとと、浮かないようにと無理をし続けて身体に不調がでたり中学校もフェードアウトしたり。
大人になっても、入力と出力のバランスをいつも間違えて働いても倒れてしまう。
みんなが学校に通っているとき、みんなが就職して働いているとき、わたしは何年か家にいて、そんなときに没頭できたことが手を動かすことだった。
子どもの頃は編み物、縫い物、お菓子、絵。考えすぎる頭が一旦落ち着いてくれて、しかもなにか美しいものが出来上がっていく。その時間があって生きていられた。
はじめの就職でも躓いたわたしはまた家にいて、久しぶりに糸を触りなにかをつくり続けて、すこし働けるようになっても、細々と手を動かす日々は続いた。
不甲斐なさに絶望するような日々の一方で、自分がつくったものを介して誰かが喜んでくれる世界があることに救われ、癒されて、少しずつ元気に働けるようにもなっていった。
(元々がそんな自分だから、お店をするときには誰かにとって心を乱されずにほっとできる場所をつくりたいと願っていた)
そんな自分を、多分FFは初めて窓話に来てくれたあの日に感覚的にすぐに理解してくれたようだった。頼りない自分が必死にこれをしている、ということも。
FFの生み出してきた作品を眺めているとアーティスティックで格好良い彼らもいれば、もがいている彼らもいて、その日々がそのまま写されている。(彼らのプロフィルの「生きるをそのままに表現と日常生活の一体性を探求する」の言葉にすべてが詰まっている)
ふたりの表現は一見すると派手で強くてエキセントリックかもしれないけれど、普段の彼らはとても愛情深くて驚くほど繊細である。
良い時も、そうでない時も、常に自分たちに正直でいる姿勢を友人として信頼している。
わたしはふたりの活動にたくさん励まされてきた。
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料理を毎月考えて組むとき、食材同志を自由に合わせる想像の時間、そこで面白い閃きに出会えることにわくわくしている。
でも発想の段階から試作の段階に移り、いざひとつの皿に仕上げていくと急に"これは料理として成立しているだろうか"と、不安に襲われる。
この"成立"という感覚や概念とはなんだろうか。
"成立している"かどうかは誰が決めるのだろう?
お店をすることや、表現を見ていただくということは、他者から評価されることももちろんたくさんあって、始めて数年間は窓話について書かれているものを目にすることは少なからず心を動揺させるものだった。
それで苦しくなる自分は本来お店を持つことに向いている人間ではなく、向いていなさを自覚しながら毎日を必死に過ごしてきた。
お店が始まって3年目からコロナ禍。何年かは記憶がないこともあるくらい混乱の期間だったと思う。
スタッフとの関係をうまく構築することや適切な指導みたいなことも苦手で、気を遣い過ぎて人のことばかり考えてしまったり、ストレスを溜めてしまって限界を超えて爆発してしまったり、とにかくうまくできないことばかりで疲弊しきっていた。
コロナ禍が明けるのかも?という光が見えてきたころ、自分のなかから生まれるものだけに向き合う時間が欲しいと願って、ひとりでお店をしていく決断をする。
ここが、窓話というお店にも自分という人間にも、色濃く向き合っていくことがはじまる転機の地点である。
ひとりになってから、世界は一変したように感じた。
手を動かして、料理に思いも感覚も込める。運ぶ。野菜や料理についてすこしお話させていただく。すべてを自分ひとりでしてみるとダイレクトに食べてくださるかたの反応が鮮烈に返ってくる。このことによって、これまで感じたことのない喜びに触れることができた。
そして、出会うかたによって反応もさまざまであることを自然に理解できて、少しずつ、どんなふうに感じてもらっても嬉しいと思えるようになっていった。
ただ自分についてはいつもとても気を張り詰めていることや、頑なにしがみついているようなものがたくさんあって、息切れも感じていた。
自分はいまどう在りたいかを問い、もっと自由になりたいし、もう少し自分自身を開いていきたい思いに気がつく。
"こうであらねばならない"自分なんて本来ないはずなのに。怖がって自分を縛っているのは自分だと気が付いて、そこから解き放たれることを望むようになっていく。
その心の底からの欲求を自覚したとき、今なら彼らと一緒になにかできるかもしれない!そう強く思った。すぐに電話した。
いつか、と願っていたあの日から、遂に一緒に場をつくることができる日がやってきた。
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料理とともに、味果丹の詩を。
周年イベントの内容が決まったとき、頭で考えるのではなく、なるべく感じていただける会になってほしいなと思い、説明のようなものは無しで挑むことにした。
何が起きたか理解できなくても、ぽかんとしたまま帰路に着いても、それもいいなと。
家に帰ったあと読んでもらえるような解説として、小説のあとがきのようにここに至るまでの経緯を説明するなにかを用意することにした。
開催一週間前、味果丹は混乱の中にいて、まだ詩はできていなかった。その混乱しているという状態を大ちゃん伝いではあったけれど私に怖がりながら教えてくれたことで、私はとても安心して、もう大丈夫だと思えた。
その私の反応を受け取って味果丹は三日前くらいにあの詩を書き上げる。
初めて詩を読んだとき私は大泣きしてしまって、その涙はなんの涙かわからないけれどこれまでの日々を、全てくるんで宙に浮かばせてもらったような気がした。
そして、当日は味果丹の言葉だけを持ち帰ってもらおうと決め、このブログにあとがきを書いている。
いまの自分(たち)はこんな毎日、こんなことがあってこんなことを考えている。何度も伝え合ってきた時間は毎回濃密で、真剣だった。
共鳴し、溶け合うような感覚に、この会を企画できたことの喜びを全身で感じた。
しょっちゅう傷ついたり自分がばらばらになったりするこの世界で、それでもこの自分として生きるために辛うじて表現し続ける。
自分を信じること。
自分自身が感じることをもとに。
そこには意味や理由なんてなくても。
ここまでの日々に、あの言葉は何度も何度もわたしを励ましてくれた。
"何があっても希望そのもの"
Fujimura Familyのこの言葉は、出会った時点からじわじわと力を増すような魔法かも。
わたしが窓話で日々、みなさまにお会いして料理というかたちでほんのすこし関わりをもたせていただけることに、心からの感謝をお伝えしたいです。
わたしという人間は格好良いものでもバランスの良いものでもありませんが、不器用なまま、これからの日々を、またあたらしい挑戦を楽しめるように。願ってここに記します。
2025年3月末日
窓話 新田 佳加